
『政經研究』は、2013年6月号で第100号を迎えた。
1960年の発刊であるからおよそ半世紀をかけて100号達成である。
単純計算すれば、現在と同じく年2冊の発行ということになる。
『政經研究』は当初から「機関誌」と明確に位置づけられて発刊されたものであるが、研究機関としての政経研は1946年の創立である。
それ以前の機関誌はどうなのであろうか。
現在確認できるもので一番古い機関誌は1947年1月発刊の『政経資料月報』である。
これは1948年3月の第10号から『政経調査資料』へと改題され、号数は通し番号で続いている。
1948年12月の『政経調査資料』第13号「編集あとがき」で、「明年一月からは、毎月『政経情報月報』を定期的に発行することとし、本誌は3・6・9・12の隔月に季刊として、基礎的な調査報告ないし基礎的資料の紹介を盛ることとなった。」とされているが、『政経情報月報』は1949年1月に発行されたものの、『政経調査資料』が№13以降発行されたことは編集子には確認できなかった。
この時期、『政経資料』『政経国際資料』『東南アジア経済資料』がでているが、定期刊行ではなく所内資料とみられ、やはり『政経調査資料』は廃刊とみて良いのだと思う。
『政経情報月報』は(1950年4月の第14号から『政経調査月報』へ改題され、1952年1月の第30号まで続いた。
しかし、「実態調査報告ないしそれにもとづく研究成果は、今後、季刊誌を刊行し、一層充実した内容と形式のものとして発表」する、しかも市販の方向が考えられた。
それが1952年2月発行の『政經月誌』であった。
この雑誌は、特定のテーマに集中することなくヴァラエティに富んだ内容、海外文献の翻訳、中間的資料を集録、新入手資料の通知、官民諸機関の非売刊行資料の紹介などが中心に掲載された。
ところが、実態調査が増えたことにより、従来機関誌に掲載してきた経済の実態分析の成果を反映しきれなくなり、それまでの定期刊行物とは別枠での刊行物が必要となった。
「経済の現状をただ記述しただけのものは掃いて捨てるほどありますが、役に立つものとなるとまことに希であります。
それを承知しながら」を刊行したのが、1951年10月発行の『経済動態の分析』であり、経済の現状を記述し、事実を正確にとらえ、分析することを目的としていた。
この「従来の『経済動態分析』を一段と拡充」したのが1953年6月発行の『日本経済のうごき』であった。
こうした中、1960年8月、『政経月誌』を「『政經研究』と改題し、月刊を季刊(年4回)に改め、本研究所のおこなっている調査研究の報告を中心とした機関誌として再発足することとした」のが現在までつづく『政經研究』であった。
分析、調査はあるが雑誌名に「研究」がついたのは創立以来初めてのようである。
タイトル |
東亜研究所解散と政治経済研究所設立の「指令」 |
金森徳次郎と末弘厳太郎の2人だけの出席であった1946年3月31日の東亜研究所最後の理事会での決定事項では、東亜研究所を「昭和二十一年四月一日解散スルコト」とともに、建物や蔵書などは「将来設立サレルヘキ財団法人政治経済研究所(仮称)ニ帰属セシメルコト」とであった。仮称ではあるが「財団法人政治経済研究所」という名称が使用されている。この東亜研究所最後の理事会議事録が左である。
理事会同日、「東亜研究所解散申請」が申請され、同日付で幣原喜重郎内閣によって解散が承認された。その承認の「指令」が真ん中である。
1946年3月14日付けで末弘厳太郎によって「政治経済研究所設立趣意書」と「政治経済研究所設立要綱」が執筆されたが、その後の国会図書館構想を経て、1946年8月1日に財団法人政治経済研究所の設立申請が吉田茂内閣へなされ8月14日付けで吉田内閣から設立が承認された。8月14日付の承認を発したのが右の「指令」である。
発行年 |
2013年6月 |
タイトル |
『政経研究』1 0 0号 |
執筆者 |
小宮昌平 |
発行年 |
2015年10月 |
タイトル |
定例研究会レジュメ 2015年10月30日 |
執筆者 |
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発行年 |
2016年1月 |
タイトル |
定例研究会レジュメ 2016年1月13日 |
執筆者 |
野口 邦和 |
発行年 |
2016年2月 |
タイトル |
現代経済研究室研究会レジュメ 2016年2月16日 |
執筆者 |
小栗 祟資 駒澤大学教授 |
発行年 |
2016年3月 |
タイトル |
定例研究会レジュメ 2016年3月29日 |
執筆者 |
増井 洋介
古宮 千恵子 |
発行年 |
2016年4月 |
タイトル |
『政経資料月報』 Vol.1 |
No.1, 1947-1 |
執筆者 |
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その他 |
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